映画とビジネス、両軸で挑戦する若手クリエイター― 映像制作と社会をつなぐ、神谷翔太さんの挑戦―
- OVER20&Company メンバー
- 10月10日
- 読了時間: 7分
更新日:3 日前

神谷 翔太(かみたに・しょうた)
東京大学教養学部を卒業。大学在学中に映画制作の専門学校で映像制作を学ぶ。現在はエンタメ系ベンチャー企業に勤務し、ショートドラマやアニメのプロデュース・ディレクションを手掛ける。また、専門学校で出会った仲間と映画製作団体「PPP」のプロデューサー兼監督としても活動中。
東大×映画専門学校という異色の進路
―映画の世界に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?
原体験として思い当たるのは、中学受験の時です。周りが遊んでいる中で勉強しなければいけないのが精神的にきつくて…。そんな時、父が息抜きとしてよく映画館に連れて行ってくれたんです。後から父に聞いた話によると、「終わる時間は決まっているし、座らせておけばいいから楽だった」らしいんですけど、僕にとってはあの空間がすごく心の拠り所になっていました。
そこから「作り手」になりたいと意識したのは、高校2年生の最後の文化祭で友人たちと映画を撮った時です。今見ると恥ずかしくなるクオリティですが、保護者の方や先生から「良い映画だったね」と声をかけてもらえたり、校長賞をいただけたりして。その時に、映画作りって面白いな、やりがいがあるなと感じたのが、監督を目指すようになったきっかけの一つです。
―東京大学に進学しながら、映画の専門学校にも通うに至った経緯とは?
当初はアメリカの映画大学への進学を検討していたのですが、世界中から才能が集まる場所なので、いくら英語ができて良い映画が撮れたからと言って合格できるような場所ではありません。国内の大学進学と並行して検討していたのですが、このままではどちらも合格できない危険性を感じて、将来の可能性を最大化できる道として東京大学への進学を決断しました。映画を創ることだけではなく、ビジネスとしての側面にも関心があり、幅広く学べる環境として最適だったからです。
大学入学後は学問として映画を学んでいました。大学3年生になったタイミングで時間に余裕ができたため、実践的なスキルも身につけたいと思い、専門学校の門を叩きました。

クリエイティブとビジネスの両軸で映画を製作する
―今の会社を選択した理由は?
元々は院進学をして特定の監督の映画を分析したいと考えていたのですが、進学を目指していた研究室では、映画の表現に着目した基礎理論が中心であることを知り、最終的に進学を諦めることになりました。
現在勤めている会社ではもともとインターンをしており、うちに来ないかと声をかけていただいていたので、そこに就職するか、1年間就活浪人するかという選択に迫られました。結果的には、1年間の就活を経て、新しい環境でまずは信頼を得ながら4年間の経験を積むよりも、すでに信頼を寄せていただいており、すぐにバッターボックスに立たせてもらえる今の会社で、5年間頑張った方が5年後の自分の可能性は最大化すると思い、今の会社への就職を決めました。
―5年後のビジョンとはどのようなものですか?
30代はビジネスマンとしても成熟の時期だと考えているので、まずは30歳の時には映画業界に関わっていること。そして30代で映画製作という文脈で大きなことを成し遂げていたいと考えています。
そこから逆算すると、自分が映画業界で何ができるかを考え、それを実行するためのポジションを確立する必要があると考えています。そのためにも、今の会社でできるだけ多くの機会に挑戦し、エンタメ業界で力試しをしながら、自分の出来ることできないことを見極めていきたいです。それらを明確にするためにも、今の会社の力試しできる環境で多くの機会に挑戦し、出来ることできないことを見極めていたいです。
―現職では主にショートドラマ製作に携わっていると伺いましたが、映画制作との違いは感じますか?
共通する部分もありますが、一言にエンタメコンテンツと言えど大きく異なる部分も感じます。特にショートドラマやアニメの領域だと、ライバルは映画ではなく、実はスマホゲームだったりします。隙間時間でユーザーのドーパミンをいかに出せるか、という戦いです。良い映画に多い壮大な伏線回収よりも瞬間的な面白さが求められるので、コンテンツの構成が根本的に違うと感じます。
一方で、動画コンテンツだけで収益を上げるのではなく、売り上げを創る方法(視聴いただくだけではなくグッズ製作など)や宣伝、マーケティングといった面での共通部分もあります。ビジネスとしてもクリエイティブとしても成功する作品を作りたいと考えているので、そこは非常に勉強になっています。
―現在所属している動画製作団体「PPP」の立ち上げ経緯について教えてください
専門学校時代の友人がPPPの立ち上げを構想しており、留学から帰国したタイミングで声をかけてもらいました。フルタイムで働いているため最初はプロジェクト単位で参加していましたが、気づいたらさまざまな側面で関わるようになり、その流れで正式に参画しました。もう一つの理由としては、今の会社では業務として映画を創ることができていないので、映画に対する情熱を表現できる環境として関わっています。

PROJECT anyとの出会い、PROJECT anyでの出会い
―PROJECT anyに参加した理由について教えてください
1年半ほど前にSNSを通じて存在を知りました。説明会に参加して、エニーに参加しようと思ったのは、いろんな人と出会えると思ったからです。出会いの機会は自ら拡げに行かないと限定されてしまいます。大学時代も映画と決めて活動をしていたので他業種の、特に社会人と出会う機会はあまりありませんでした。ただ映画を創る上ではそうはいかない中で、多様な人の話を聞いてみたいと思って参加しました。
実際に参加してみると、思いもよらない人と出会える機会がすごく多いですね。イベントに参加してみて、目的の人ではないけど面白い人がたくさんいます。
―学生時代の活用方法と社会人になってからの活用方法で変化はありますか?
学生時代よりも貴重になっています。社会人になると仕事以外の関わりはかなり限定的になるので、学生時代に増して視野を広げられる機会として非常にありがたみを感じています。もう一つ大きく違うのが、ただ参加して知り合うだけではなく、この人とだったらこれができそう、とより主体的に参加できようになったのが大きな違いかと思います。今回のOVER20&Company.のコンセプトムービーの製作に関してもその一つですが、将来の可能性を広げてくれる出会いがあります。
―今回、OVER20&Company.のコンセプトムービー製作を担当いただきましたが、製作の裏側について教えていただけますか?
複数のエニー生に取材をさせていただき、彼らの持つ「可能性」を私自身感じるところであったと同時に、今はまだ内包されていて将来的に発現する可能性なので、これを動画でいかに表現するかというところに工夫を凝らしました。
神谷さんが製作したOVER20&Company.のコンセプト動画がこちら
取材で見えたOVER20&Company.のユニークなポイントはありましたか?
「100年後も、20代のそばに寄り添っているだろうか」という言葉が、すごく印象的でした。「100年後に世界を変える」といった野心的な目標を掲げる企業は多いですが、「寄り添う」という言葉を選んだことに、このプロジェクトのユニークさを感じました。寄り添うって、簡単そうに見えて実はすごく難しい。時代によって20代の価値観は変わるし、一人ひとり悩みも違います。その変化に対応し続けながら100年間も存在し続けるというのは、並大抵のことではありません。その奥深さに惹かれましたね。
―最後に、PROJECT anyの魅力や今後の参加者へのメッセージをお願いします。
エニーの魅力は、やっぱり「人」ですね。エニーには、自分一人では絶対に出会えなかっただろうな、という面白い人がたくさんいます。
インタビューさせてもらった皆さんも、表面的に知っているだけではわからない、深い魅力や可能性を秘めていました。ぜひ、色々な人に話しかけて、その人の背景にある物語を深掘りしてみてほしいです。きっと、自分自身の世界も広がると思います。